【スペシャル対談】
JBCH理事兼医師 石原均
×
村井啓一
ヒプノセラピーの技法を活用した【傾聴・理解・寄り添い】の診療を実践。かつての左脳派から『イマジン』の世界を生きる臨床医・石原先生と、堅い絆で結ばれた村井先生の対話とは。
【スペシャル対談】
JBCH理事兼医師 石原均
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村井啓一
ヒプノセラピーの技法を活用した【傾聴・理解・寄り添い】の診療を実践。かつての左脳派から『イマジン』の世界を生きる臨床医・石原先生と、堅い絆で結ばれた村井先生の対話とは。
今回、JBCH会報誌『News Hypno』の創刊号では、JBCH代表理事の村井啓一先生と医師であるJBCH理事の石原均先生の対談インタビューをお届けさせていただきます。この会報誌の目的の一つが会員の方のヒプノセラピーの技術向上や学びを深めることなのですけれども、それにあたって各界でご活躍されている方のお話をお聞きしてみたいというのがあります。
特に医療の専門の知識をお持ちで、かつ診療でもヒプノセラピーを実践されている方のお話は、私たちにもすごく学びになるのではと思い、今回石原先生にお越しいただきました。
(インタビュアー: 伊藤若菜)
<石原均先生プロフィール>
総合内科専門医・循環器専門医
日本伝統美座療法治療家
日本臨床ヒプノセラピスト協会(JBCH)インストラクター
日本催眠学会評議員
まずは最初に少し石原先生にインタビュー形式でいくつか質問をさせていただき、その後で村井先生との対談に入っていきたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。
ありがとうございます。ということで過分なご紹介をいただきましたけれども(笑)村井先生からは「ひとちゃん」と呼ばれています。私よりも皆さんのようなセラピストの方が経験豊富で、むしろ私は色々教えていただきながらではありますが、医療との接点ということに関しては私の分野だと思うので、自分の経験からお話しできたらと思います。
それでは石原先生ご自身の簡単な経歴や、お医者様からヒプノセラピストになるまでをお話しいただけますか?
そうですね。昭和32年5月27日生まれで、今年でもうすぐ65才になります。昭和58年に名古屋大学の医学部を卒業しまして、それから愛知県にある岡崎市民病院に研修医として入りました。救命救急センターが出来たばっかりで、ものすごく忙しかったです。実は救命センターで20年間働きながら、一生懸命働いているのに患者さんが増えていってしまう、そういったジレンマを抱えていました。
もっと患者さんの予防のためのことをした方がいいんじゃないかと。そこで平成15年になって私もちょうど46才という、現役で働くにはそれなりの歳になっていましたので、岡崎市内に石原クリニックを開設しました。ですが、開業してもやはり同じで・・・。
予防のために手を尽くしているはずなのに、なかなか患者さんが良くなってくださらない。ということでいろいろ悩んでいたら、今度は私が体を壊してしまいましてね。ある日起きたら体が全然動かない、というような状況になってしまいました。
その時に出会ったのが瞑想と、私の本棚にあったブライアン・ワイス博士のCDブックです。この日本語版を毎日のように聴いていました。すると自分の心が癒されたと共に体調も良くなって、完全に復活した時に、このCDを調べていたら村井先生に行き着きました。そして2008年に村井先生が福岡県で出張講座をされたときに、愛知県から福岡県まで行ってベーシックコースを習ったのです。
その時のあまりの感動に、もうこのまま最後まで習おうということで、2年間でインストラクターコースまで取らせていただきました。
村井先生の講義にて
お体を壊されてから回復していくまで、実際にご自身のお体や心でどのような変化を体験されたのでしょうか?
体を壊した時はいわゆる自分の身体を自分がコントロールできないような、そんな感覚です。例えば、脳梗塞やパーキンソン病を思い浮かべていただくといいのですが、自分で何かしようと思ってもその行動がうまくできない。とてもじゃないけれど、診療の仕事ができないので、休診の案内を書こうと思ってマジックを持っても、書けないのです、字が。
3ヶ月間は身動きも取れず、食事も砂を噛んでいる状態で、16kg痩せました。ですので、毎日リクライニングシートに座りながら、瞑想とブライアン・ワイス博士のCDブックを聴いていました。一番効果的だったのはリラクゼーション法ですね。毎日自分自身をリラックスさせ心が癒えてくると、段々と体も癒えてきて、完全に体調も戻ってきたのが半年後くらいですね。
心に関して、それまでは自分は医学に携わり、自分も科学者の端くれのつもり、いわゆる左脳人間でした。それがヒプノセラピーを習い催眠状態に入った時に、自分の心の中がいっぺんに変わったのです。
潜在意識に触れ、深いリラクゼーションの状態を経験することで、こんな世界が自分の中にもあるのだっていうことに気がついて。そういった心でいれば、心も体もすごくいい状態でいられるし、自分の仕事にも取り入れたいなと思ったんです。
現在、患者さんへはどのようにヒプノセラピーのエッセンスを取り入れているのですか?
現在の短い診療時間で本格的なヒプノをするのは難しいので、村井先生のおっしゃる【傾聴・理解・寄り添いの技術】を取り入れています。
例え話をすると、医者には3種類いて、体調が良くなるアドバイスをする医者、わるくなることを伝える医者、セラピストとしての医者というのがいます。
良いアドバイスというのがあったとしても、本当に患者さんがそれに向かって動き出せるかはわかりません。セラピストとしての医者は、「どうしたらよくなると思う?」「あなただったらどんなことができそう?」という答え・気づきを引き出す医者であって、私はそこを診療に取り入れるよう心がけています。
患者さんの中には「あの一言でやる気になりました」と言ってくれる人が増え、寄り添いの技術の大切さを感じています。
あとは、フリーでイメージしてもらうセラピーのようなものですね。
例えば仕事に疲れて生きがいを持てない方が、もう一度仕事に戻りたい。でもどうしたらいいか分からないという方へ、今までで一番自分が楽だった時、輝いていた時、リラックスしていた時のイメージを思い浮かべてもらいます。
それを一通り味わってもらい「こんな気持ちでいられたらいいと思う?」と話し、「Yes」ということであれば、「自分が選択できる未来は無限にあるから、自分らしく生きていける方法を選択していこう」と落とし込んで行きます。
余談ですが、実はこの2〜3年、新規の患者さんに安定剤や睡眠薬を一切出していないのです。
ですからこのように、セラピーで自らを癒せるというヒプノセラピーで習ったことを活かしています。
それともう一つ私の中でセラピストとして心がけていることが、【何も足さない、何も引かない】ということですね。セラピスト自身の考えをクライアントに押し付けたり、クライアントの言葉を否定したり、修飾したりすることがあってはいけないので、言葉をそのままに受け取って理解するということが一番大切かなと思います。
診療時の一コマ
素晴らしいですね。その中でも印象的だった事例はありますか?
はい。事例紹介は学会でも発表したものなのですが、うつ病の向精神薬を飲んでいた女性の方が、年齢退行療法・GIFT・悲嘆療法を通して、薬を飲まなくてもいい状態まで回復したという事例です。
この方は6年前に息子さんを事故で亡くされているんですね。その後パニック障害になってしまい、うつ・突然の動悸・めまい・予期不安・広場恐怖といった症状がおありでした。
そこで最初のセッションでは、段階的リラクゼーションで催眠誘導をし、その後でいきなり辛いイメージに降りるのではなくて、まずは一番自分がイキイキとしていた頃の自分に降りて、一番自分らしいエネルギーを取り戻してもらいます。その方は高校生の時に、海辺で友達と遊んだ時の自分をありありと感じてもらい、もう一度エネルギーを取り戻してもらいました。
そしてもう少し遠い過去、自分の癒やしたい過去へ行きました。この時には3歳の時、公園でお姉ちゃんと遊んでいた時に置き去りになったという不安と寂しさを感じていたので、「誰に迎えに来てほしい?」と聞くと「お母さん」ということで、お母さんに迎えにきてもらい、幸せなインナーチャイルドになりました。
次にGIFTの方法で、娘さんと北海道の街を旅行してみたいけれども、息子さんが亡くなられたことで実現できていないということで、実現するイメージをしていただきました。この時には薬は半減することができたのですが、まだ完全にパニック発作が治まらない状態でした。
そして半年後、亡くなった息子さんの裁判の証人として出なければならないということで、息子さんの死を受け容れるために、悲嘆療法を受けに来られました。
そこで元気な頃の息子さんと出会って、「裁判の時も一緒にいるから大丈夫だよ」という言葉をかけてもらい、それから裁判に出た時、実際に息子さんの魂がそばにいる。そんな感覚で裁判を終えることができたそうです。そんな体験をされてから、全てのお薬を飲まなくて済むようになったのです。
いまだに8年ほど私の所へ通ってくださっているのですが、すごく明るく今の人生を楽しんでいる、そんな方の事例を紹介させていただきました。
素晴らしい事例ですね。もしヒプノセラピーを使わなかったとしたら、どのような治療になると思われますか?
そうですね、もしヒプノセラピーに出会わなければ、左脳人間で「○○した方がいいよ」とアドバイスしてしまうと思います(笑)。それがその人にとって有用なアドバイスになっているかは全くわかりませんので、やはり自分自身が潜在意識の仕組みを理解し、人に寄り添うことが大切じゃないかなと思います。
医療従事者である石原先生から見て、ヒプノセラピーが更にこうなったらいいなということはありますか?
やはりヒプノセラピーは体験が100%の世界かと思います。フロイトが無意識を発見して100年以上になりますが、いまだに精神療法の一つとして普及してこない理由になっているかと思います。ただ実は、平成30年に心身医学療法として、ヒプノセラピー、レイキ、エネルギー療法などが、医師の診療に限り保険が適用されることになりました。
また最近では、神奈川歯科大学大学院にて、川嶋先生が日本初の統合医療学講座を開設されたので、そういったところで普及していけたらいいですね。そして体験された方で、ヒプノセラピーを否定する方はほとんどいないと思いますので、やさしい世界が広がっていったらと思います。
「命の育て方授業」の登壇時
石原先生が感じられるやさしい世界とはどのようなものですか?
今はウクライナ情勢のことがあり、ちょうどジョン・レノンの『イマジン』が話題になっていました。本当に国もない、所有もない、共存共栄を楽しむいわゆるワンネスの世界ですね。
わたしとあなたではなく、みんなわたしたち。だから、誰かが困っていたら助けてあげるという感覚でなく、一緒にこの世界を楽しもうよという感覚です。そういう風になっていくと、もっとやさしい世界が実現できるんじゃないかなと思います。
そのために私自身はいつも笑顔でいること。いるだけで安心できる存在でありたいです。まずは傾聴・理解・寄り添いをするにしても、側にいるクライアントさんが話しかけてくれないと、最初のスタートが始まらないので。寄り添うと同時に、寄って来てくださるには、やはり笑顔かなと。人は見た目が80%と言いますしね。ですから常にそんなエネルギーでいたいですね。
診察中に催眠状態になっているとお聞きしましたが、どのような良いことがありましたか?
以前は患者さんの数が一日70名くらいだったのです。それでも一般開業医としては多い方だったのですが、毎日真剣に左脳で話を聴いて、アドバイスをするとかなり疲れていたのです。恐らくそれで体調を壊したと思うのですが。そこから催眠療法を習い、自身も常に催眠状態・変性意識に常にいられると、何をしていても疲れない、心が平安な状態になりました。
すると患者さんの対応がもっとできるようになり、今では一日平均150人。倍以上に増えました。インフルエンザの時期は一日250人くらい診たこともあります。それなのに全然疲れないのはなぜかと言うと、交感神経が緊張していないから。ヒプノセラピーを習った効用の一つですね。
あともう一つの効用は精神年齢が38才から歳を取っていません。永遠の38才です(笑)。
ここからは村井先生に参加して頂きます。村井先生は催眠の効能をどのように感じられていますか?
村井先生:ひとちゃんの体験に似たようなことは私も日々体験していますね。朝オフィスにきたときよりも夜セッションを終えて帰るときの方が心身共に楽になっているのです。
講座の時も同じです。私も結構歳をとりましたが、気持ちは今も30代です(笑)。ヒプノセラピーで日に日に若返っていく、歳を減らしていくそんな感覚で生きています。
村井先生と石原先生とでは、どのような意見交換をされていらっしゃいますか?
石原先生:同じ潜在意識の世界に入ってしまうと、ある意味では言葉での議論がいらなくなってきてしまうんですよね。村井先生の発した言葉の背景に、どのような気持ち・考えがあるのかなということが掴み取れてしまうので。そして私が何かを言えば、村井先生も理解してくれる。そういう意味で信頼できる関係です。ですから学会などでお会いすると、世間話か冗談半分で悪口しか言っていませんね(笑)。
このツーカーになる感覚が潜在意識のすごいところですけれど、もっと掘り下げていけばアカシック・レコードとか人類共通の意識につながり、だんだんと言葉のいらない世界になっていくんじゃないかなと思います。
患者さんに関しても、言葉以外の仕草、手や目がどう動いているか、喋り方で、患者さんがどのような状態かが手に取るようにわかるようになりました。診療ではアドバイスではない、こんなことを期待しているのかなというメタファーの投げかけをしたりもします。
例えば先日、100才の女性の方が「私はもう長生きしたくないから、先生一服盛ってくれ」なんて言うんですね。でも肺炎のワクチンを打ちに来られていて、ということはあと5年は生きたいのだなと感じた訳ですよ。だから「今度打つときは105才だよ」とお伝えする。すると笑いが起きて「105才まで生きろということだな」と読み取っていただけるんですね。そんなことを直感で投げかけたりもします。
すごいですね。 どれくらい経験を重ねてそのような感覚になられたのですか?
石原先生:最初のうちは潜在意識状態でやっているつもりでも、自分の顕在意識が持ち上がってしまってなかなかその感覚にはなれなかったです。やはり自分も潜在意識の状態で、クライアントさんと最初から最後まで一つの物語を共有できた時、そういった感覚になりました。ですので、数ではなくその体験をいくつも重ねていくことが大切で、それはベーシックコースやアドバンスコースを受けられている方でも、十分その感覚になれると思います。
村井先生から見られて、石原先生はどのような印象でしょうか?
村井先生:福岡でお会いした時のことが強く印象に残っています。あの時はまだしんどそうな感じがあったのですが、学びながらだんだんと良くなっていくのが見て取れましたね。
ひとちゃんはすごく理解が早いし、人に対する思いやりを持っていらっしゃるので、本当にヒプノセラピーが合っているんだなという風に思っていました。ドクターでちゃんとヒプノセラピーができる方は少ないので、本当に奇特な方ですね。
ブライアン・ワイス博士のワークショップにて
現在の村井先生の講義は、脳科学から潜在意識に結びつけて教えてくださるのが印象的ですが、石原先生の時代は学ばれてみていかがでしたか?
石原先生:実は私たちの時代は、まだそこまで脳科学が発展しておらず、スピリチュアルに寄っていました。そんな中で私が科学的に捉えられたのは、100年前にフロイトが発見した『無意識』があったからです。科学的において存在を証明するというのは難しいこと。その発見がヒプノセラピーのベースになっているので、科学者としての私でも学ぶことができました。
しかし、実際に体験をしていくとそうではなく、非常に右脳的でありスピリチュアル的であることが深まってきました。最近ではスピリチュアルな孫まで生まれてきて、何も抵抗がないのですよ(笑)。
ですから将来的には、村井先生が説明くださる脳科学のところとスピリチュアルが、どこかで必ず結びつく時がくると思っています。そんな時を楽しみにしながら、両方に足を入れてヒプノセラピーをしています。
それでは、ヒプノセラピーを通じてこうなったらいいなという世界観はありますか?
石原先生:こうなったらいいなというよりは、もう決まっているものです。
それはさっきお話しした『イマジン』の世界、ワンネス、映画:『美しき緑の星』のような世界。
あの世界観が命を持つものにとって理想的だと思います。ですから我々はまだ未開人で、科学に頼ったり、色々な経験をした後に、最終的に行き着くのはあの世界だと思います。何もいらない、一緒にいる人が同じやさしさをもち、命ある限り幸せな気持ちになる世界ですね。人類はまだ原始人で発展途上の生物なんです。
村井先生:そうですね。マズローが言っているような個を超えるということ。自分や自分の家族の幸せはとても大事ですけれど、それ『だけ』を目指すのでなく、人生の目的・意味は人を幸せにすること、この世界を幸せにしていく、愛を持って生きること、大きな視野・心を持って生きることじゃないかなと思っています。ヒプノセラピーはそのために心のあり方を観るツールであり、コミュニケーションです。
ですから自分の内側と外側、宇宙と深くコミュニケーションを取ること。自分が内側にどれだけの知識・知恵を持っているか、その人をどれだけ深く理解できるか、お互いに助け合っていくいたわる気持ち、それらの基本がヒプノセラピーの根底にあると思います。
人間というのは不可知な世界に生きていますね。なんでこのような地球に生きているのだろう、とか。宇宙っていったい何だろう、とか。この何十年かすごく科学が発展してきて、いろんなことが見えてきましたけど、まだまだ見えていないことが圧倒的に多いのです。まだまだ未科学の分野がたくさんあり、無限の世界に何があるのかは、我々にはまだまだわからないのですね。
そして未知の領域ともうわかっている領域との間の接点、ここにスピリチュアル的なよくわからない世界がある訳です。で、ここをどう捉えて生きるか。ここを利用して人の心を楽にすることもできるし、人を欺くことだってできる。この未知の分野こそ人が不安や恐れを感じたりして悩むところなのです。
その不安や恐れを解消する役割を昔は宗教が担っていたのですが、今は個々人が自分の中に自分なりのスピリチュアル的な解決策を持って生きるように変わってきました。その接点から生じる不安要素をどう捉えて、どう癒しを導くお手伝いをしていくのか・・・、ヒプノセラピーはその領域を扱える稀有な心身療法だと思います。
ワイス博士ご夫婦と石原先生
今の時代、自分のミッションや使命を考える方は多いと多いますが、お二方はどうお考えでしょうか?
石原先生:5年か10年前だったら違うことを答えていたかもしれませんが、今なら、ミッションを追い求めれば求めるほど、ミッションらしいものがどんどん薄れてくるものと思います。今までヒプノセラピーを通して、色々な人の人生や物語、前世、ハイヤーセルフの世界を垣間見ることによって、自分のミッションがぼやけてくるのです。
そうすると私のミッションってなんだろう?と最終的に行き着いた答えは、『わたしがわたしでいること』。
私ができることは私しかできないし、私のできないことはそれをやる方がどこかにいるはずなのです。そういう人・・、今だったら地球には77億人いますよね。全宇宙だったらもっといると思いますから。
そういう人達が生まれもった命の意味を考えて、その人がその人の役割を果たすことによって、どんどん素晴らしい世界になっていく、そんな気がしています。多分生まれ変わっても、また自分に生まれてくる、自分にしかなれない、これしかないのだと思います。
村井先生:今おっしゃったことは私もよく分かります。自分のミッションってなんだろう?と考えた時に、自分らしく生きるしかないなと思っています。自分の中で信じることをやっていきたい、信じない・してほしくないことは自分にも人にもしない。これは小さい時に、近所の6歳上のたけちゃんというお兄ちゃんから教わったことなのですけど、私はそこから変わってないのですね。
人に優しくしなさい、自分がして欲しいことを人にしてあげなさい、という教えが私の中でずっと生きています。そして自分のミッションってこれだと思っています。だから人を騙す人間が大嫌いなのです。
人は社会的な動物ですので、一人では生きていけません。人と触れ合いながら、色々な生き物と触れ合いながら生きていくのです。その中で周りの存在を尊重して生きることが、一番基本だと思います。その交流のためにその方を慮った交流の仕方=コミュニケーションがありますから。そしてコミュニケーションをどう生かして生きて行くのか、に行き着くのです。最終的には自分自身の『存在のあり方』が大切だと思います。
数年前から始まったコロナ禍や、今の戦争の状況ですとか、世界中に色々な不安、色々な感情が渦巻いていると思います。そういった今の時代にヒプノセラピーはどう役立てられると思いますか?
石原先生:もし、ちゃんとしたセッションとして提供できる時間があるのであれば、その方に寄り添って、どんな不必要なもの、不安、怖れを持っているのか。今の時代であれば本来は要らないはずだし、要らない世界を目指していかなきゃいけない。でも実際にはコロナであったり戦争であったり、天変地異や異常気象であったり、そういったことで皆さんは安心感を奪われていってしまっている。
だから我々ができることは、不安や怖れは本当は必要ないんだよということ、ヒプノセラピーあるいはヒプノセラピー的な潜在意識の状態を、いわゆるインナーピースですね。心の中に常に平和があるということをしっかりと誰もが認識していければ、過剰反応からくる不安や怖れをというものが無くなっていきます。
例えばコロナも、あまりにも情報が多すぎて、情報の津波に皆さんが呑み込まれていくというのが今の世界の状態ですから。例えば、コロナで重症化するというのは不幸なことですが、結局は自分の中の過剰反応からきているんです。犬や猫も同じように感染していて、巷でバタバタコロナで死んでいるかといったら、ほとんど死んでいないですよね。犬や猫には恐怖もなければ不安もない。感染して熱が出て数日経てばケロッとしている。
だからその過剰反応を上手にコントロールできれば、もっと普通の風邪のように扱えるようになっていくだろうと考えています。今、私のクリニックでもコロナのことで非常に不安になって、お越しになる方もいらっしゃいますが、私がやることは具体的な事例と共にただ安心させるだけです。
実は私のクリニックには、3,800人の患者さんが通っていますが、コロナで亡くなっている方は一人もいません。「私、重症化するはずだったんだけど」という透析、肺気腫、糖尿病の患者さん、誰一人重症化していません。何がそうさせているのかを理解できれば、つまり自分の体を蝕んでいるのは不安とか怖れというネガティブな感情だということに気づけば、何も怖れるものはありません。
ということで、何があろうと先ほど言ったような自分のミッションを全うすればいい。
ですからヒプノセラピーで得た心の状態を、多くの人に伝染させていくことが一番いいのではないかと思います。
また、自分が受けたヒプノセラピーのセッションの中で、すごく印象的なものには【8つの前世】というものがありました。そしてその8つの前世の中に流れているテーマは1つで、その前世の中で必ず伴侶か私のどちらかが先に死んでしまうのです。
その中に流れている物語を自分で見て、今ここで、これまでのカルマを解消すると言うか、今の妻と2人で、本来の一生を添い遂げる。それが今の自分のテーマなんじゃないかなと思いながら今世を過ごしています。
映画『天使にラブソングを』の中で歌を唄うシーンがあるのですが、
「誰もがみんな、本当に大切にしなければいけない人を間違えている」
という歌詞があるんですよ。だからもし自分が大切にする人を、本当に大切にできていれば、どんな人生であろうと幸せなのです。いつ死のうが、どこでどんな別れをしようが。そして実際に見た8つの前世で、何回かは今の妻と一緒の人生を送って、今巡り合っているのです。
だから二人で大切にするもの、人と生きる上で大切にするものを間違えずに生きることが、この世で生を受けている自分にとって一番大事にすることだと思っています。ここで今世をクリアできると、来世は違うテーマになるのかなと思って楽しみにしています。
趣味で撮影している宇宙写真「馬頭星雲」
村井先生:今の時代、コロナのおかげで世の中が変化していますね。私の知り合いのお子さんが中学生で、コロナになってから二年間ほとんど授業がないのですね。学級閉鎖になったりしてほとんどZoomで過ごしている子供たち。とても大事な時期に人との交流がないことが、大きくなった時にどういう影響を与えるのか。それをとても危惧していますね。
それがない状態だとしても、少子化・生涯未婚率が男性でも25%、女性で15%という状況になっています。これはなぜかというと、コミュニケーションがうまくできないことが一つの要因だと思います、男性も女性も。それが文科省の教育の中にないので誰かがやらないといけない。
今の日本の状況を改善すること、ヒプノセラピーの本質的な役割を考えたときに、コミュニケーションをしっかりと教えるということ。男女のコミュニケーションの違い、子供に対するコミュニケーションで注意すべきこと、そういうことをしっかりと発信していかなければならないと思っています。これが、私の余生でやっていきたいなと思うことの一つですね。
石原先生:これはもう一つの流れなので、村井先生がおっしゃる通りだと思うのですよ。私たちは独立した存在として、お互いの気持ちを知るには、言葉によるコミュニケーションしかないというのがありますから。その言葉の裏にある本質を私たちセラピストがきちんと理解して、本来あるべきコミュニケーションというものを伝えていくというのが、ヒプノセラピストの大きな使命だと思います。
私は臨床医で患者さんに言葉でそれらを伝えたり使ったりする立場、村井先生はヒプノセラピーを教えられる立場、ということを大切にしていきたいと思います。その言葉を伝えていくには顕在意識ではできないのですよ。潜在意識の状態、自分が催眠状態で、自分の潜在意識の中から湧き上がってくる言葉を相手にお伝えすることによって、初めて起こってくること。
その言葉に患者さんが共鳴することで、初めていいコミュニケーションが生まれてくると思います。「先生のあの日のあの言葉が、私を変えた」なんてことを言ってくださる患者さんも、ありがたい話でいらっしゃいます。そんなことを一つ一つ増やしていきたいと思っています。
患者さんの言葉に励まされることも
これからヒプノセラピーを学ばれる方へメッセージはありますか?
石原先生:村井先生の前でおこがましい話なのですが(笑)、私の学んできた体験になるのですが、やはりテクニックはゼロではありません。頭で考えて覚えてできることではないので、ある意味スポーツと同じように、体で覚えていくことですね。そしてまず最初にやっていただきたいことは、『マネること』。
この人のセッションは素晴らしいなと思うものは、マネすることから始めていただきたいなと思います。マネすることから始めて、徐々に徐々にその自分のスタイルを築いていくことからしていただくと、比較的早道なんじゃないかなと思います。
とにかくたくさんやってください。癒やそうと思わずにやってください。【傾聴・理解・寄り添い】というのは作為的であるのではなく、そういう状態であるということを体現していただきたいです。ただそこまでいくには、まずマネをすること。それをやっていくうちに、本当に意味での傾聴・理解・寄り添いということができるようになっていきますよ。
村井先生:『マネること』が大切ですね。そして心・技・体を整えること。癒やしてあげようとしない、『存在のあり方』を身に付けることも大切だと思います。
どういうふうに自分がその人の前で存在しているか。それが人に影響を与えるし、人の心を揺さぶります。ですから自分自身が意識してクライアントさんに影響を与えようとするのではなく、クライアントさんがご自分の中にあるものを自分で引き出せるような環境を一緒に作っていくことが大切です。クライアントさんの中に何があるかを聴きながら、確認しながら。それをひとちゃんは実践できているので、ひとちゃんからセッションを受けられる人はラッキーです。
今後の展望についてお聞かせください。
村井先生:願わくば、ひとちゃんが教える側に立って、そういう人を養成するようなことをしてほしいですね。世界中を探してもそんなことをできているお医者さんは少ないと思うので、日本発で世界にどんどん発信していってほしい。体験を本や動画にして英語で。私はそれを期待しています。
石原先生:とても耳が痛い話ですね(笑)。実際にやっていきたいことなのですよね。ただ私に一つ欲があるとしたら、完成度の高いものをつくりたいということがある方、私にしか書けない、つくれないものをやっていきたい、という言い訳をしていますけど。
ということで、どこかでもう一度しっかりとしたセッションをしたり、講座を始めていきたいです。本やSNSのメディアを通じても自分自身が得たものを発信していきたいと思いますので、村井先生、長い目で見てください。
村井先生:ひとちゃん、私も最初の本を書くときに、自分しか書けないものをと考えて何年も考えていたら、5年、10年と経ってしまったのです。これをしていたら人生終わるなと思ったのです。これは無理だ、いつまで経っても終わらない。だから【今】の段階のものを出すしかないと思うようになったのです。それで本を出しました。
当然、出した内容は当時の自分のものですから、1年経ったら違うなと思うし、5年経ったら全然違うなと思うわけです。変わらないものもあるけれど、どんどん自分が変わるから、これ!というのは無理なのです。だから今の段階で出していくしかない。その見切り発車というができないと、もう来世、来来世になっちゃいますよ(笑)。
石原先生:見切り発車します(笑)。
村井先生:出しましょう!
石原先生、村井先生、たくさんの素敵なお話しをお聞かせいただきありがとうございました!